藤倉大の「穴子どーん」な世界

 今年の芥川音楽賞での演奏会もそうだったのだけど、若い作曲家による音響系と呼ばれる作品がここ何年か増えてきた。みんなパリ野郎になったなーという感じで。
 音響系、大好きなんですよ。色とりどりの高級料亭の弁当みたいな感じで(あんまり食べたことないけど)。それぞれの素材が細やかに切り分けられ、あっさりした味付けのなか、素材同士がやんわりとしたコラボレーションを繰り広げるといったような。

 こういった繊細さを味わうヨロコビもある一方、弁当のフタを開けたら、「穴子がどーん」「いくらがどーん」など、白飯が見えないくらいに乗っかっている存在の大きさに大喜びしまう自分もいるわけで。
 こうした音楽を書く作曲家といえば、やっぱ藤倉大でしょ。神経質なくらいに繊細を極める当世の音楽と異なり、藤倉の作品は大胆で、一つ大きなものがどーんと白飯に乗っかっている(様々な特殊奏法を細々と組み合わせるのではなくて、一つの奏法を時間をかけて演奏させたりもするし)。なんといっても、空気感をモヤモヤと創出する音楽にはない、力強さが魅力だと思う。

 この一ヶ月間、藤倉大の作曲したものを聴く機会が多かった。
 まず、藤倉自身が主催する音楽祭、ボンクリ(9/24)でチェロ協奏曲を聴いた。カロリー高めの音楽が、ほとんど途切れることなく続く。二郎系のラーメンみたいな。
 この音楽祭では、アルヴィン・ルシエの実験的な作品を池袋の大きなホールで味わうなど、なかなか得がたい経験も。

 そして、Hakujuホールでの個展(10/20)。協奏曲作品のカデンツァを含めたソロ作品と室内楽作品。とんでもなく難易度の高い技巧を用いた作品がこれでもかこれでもかと続く、必殺躍り食い弁当。全編ハーフ・ヴァルヴ奏法で演奏されるホルン独奏曲《ゆらゆら》なんて、福川伸陽のほかには演奏可能なのだろうか。

 3つめは、東京芸術劇場でのオペラ《ソラリス》(10/31)。藤倉さんのことだし、かなり自由なスタイルでやっているのだろうなーと思っていたら、現代曲としてではなく、オペラ作品として充分楽しめる作品になっていた。思いの外、エモーショナルだったし!
 死んだ恋人がコピーとして登場、それでも彼女を愛すというモチーフが中心になっているので、ストーリーはとたんに源氏物語的な性格を帯びる。もちろん、これはAIやアンドロイドや人形を愛せるか、といった現代的なテーマにも通じるわけで。
 脚本もしっかりしているので、これは様々な演出にも耐えられるはず。どうせなら、スタニスワフ・レムが原作を書いた1960年代、地球上の一般家庭を舞台にした読み替え演出で(ワリコフスキの得意技だ)。

 SF原作でいえば、もし「高い城の男」を川島素晴の作曲でオペラ化、なんて話があったら、すごくドキドキするよなあ。新国立劇場あたりはそろそろ動いてもいいのでは。